来日するクムフラたちと日本人講師

来日するクムフラ
(コンペティションのジャッジおよびワークショップの講師として)


イポラニ・ヴォーン(審査委員長)
ケアラレオ、カメハメハスクール

イポラニ・ヴォーン は、フラ・マスター、メイ・ローベンスタイン、ジョージ・ホロカイなどから学び、フラ・マスター、メイ・クレインからウニキをした。
イポラニは、フラだけではなく、 オリ、レイメイキング、ラウハラ編み、シードレイメイキング、貝細工、コスチューム、などハワイ文化全般にわたって万能の才能をもつことで知られている知識人だが、特に 彼女のハワイ語の知識と、その教授法はハワイの文化人の間で知らないものはいないと言っていいだろう。その教授法とは、一度もハワイ語を学んだ事がない人 にもハワイ語でハワイ語を教えるというもの。彼女は、この教授法を言語再活性化運動の先進国ともいえるニュージーランドで学び、3年の月日を費やしてその 技術を習得した。ニュージーランドではマオリ語教育に使われているこの教授法を、イポラニはハワイ語に応用することに成功した。現在、名門カメハメハスクールでハワイ語教員の指導にあたっている。夫は著名な音楽家である、パラニ・ヴォーン、娘は元ミス・アロハフラで、現在はクムフラのヒヴァ・ヴォーン。 2012年からメリーモナークにも出場している、娘でクムフラのヒヴァ・ヴォーンのハーラウではダンサーの指導にもあたっている。
  


アウケレ・シアンコ 
ザ・フラ・オブ・アンクル・ジョージ・ホロカイ

3歳でフラを始める。一旦はフラから遠ざかり、子育てに専念した時期もあったが、フラマスター、ジョージ・ホロカイの誘いをうけ、1976年フラに復帰。
以来30年以上ジョージ・ホロカイのもとで学ぶ。ジョージ・ホロカイと共に、ハーラウ内はもちろんのこと、国外のワークショップにもクムの右腕として同行した。晩年、ジョージ・ホロ カイは、自身のハーラウだけにとどまらず、クムフラだけを集めた特別クラスを設け、ケアリイ・レイチェル、ソニー・チンなど多くのクムフラを指導していたが、そこでもアウケレはジョージ・ホロカイの右腕として、著名なクムたちの指導にあたった。2006年、ジョージ・ホロカイが他界した後、現在も師のフラを忠実につたえている貴重な存在だ。今はハーラウを引退し年に数回ハワイでワークショップやクムのアドバイスを行っているため、日本で受講できるワークショップは大変貴重だ。





ポーハイ・スーザ
ハーラウ・フラ・カ・マモ・リコ・レフア

ポーハイは、ジョージ・ホロカイと、その母アリス・ホロカイのもと、4歳からフラをはじめた。8歳からは、叔母にあたるフラマスター、マイキ・アイウの ハーラウに移籍。 マイキ亡き後は、マイキの弟 子でフラマスターのメイ・カママル・クレインに学びクムフラとして伝統的なウニキを果たしている。
ポーハイのハーラウは、文化研究に重きをおいており、ハーラウに所属するダンサーたちは植物や、神話、歴史などについてのレポートを書かされることも多い。「アンティーマイキの教えを理解すれば、フラは人生そのものという意味がわかるはずです。」と語るポーハイは、セ イクレット・ハート女子校で長年ハワイ文化とフラを教える教師でもあった。フラスタイルは、カラーカウア時代に生まれたアウアナの形であるマイキ・アイウのフラ・クイのスタイル。 ムームーで踊る時代のフラなのであまり深くしゃがまない、エレガントで表現力豊かなスタイルだ。マイキが得意とするクラッシックなハパ・ハオレの名手としても知られ、地元のハパ・ハオレ、フラ大会では数々の優勝をおさめている。ハワイの外でワークショップを行う事は少ないにもかかわらず、知識が大変豊富でいつも笑顔が絶えない優しいクムとして、日本でも人気が高い。ウクレレを弾き歌いながらフラを教えてくれる昔ながらのスタイルも人気の理由のひとつだろう。





ジョン・アイウォヒ
ハ-ラウ フラ オ ワイアレアレ(ハワイ)

ミュージシャンやクムフラを多く輩出しているファミリーに生まれ育ち、幼少から自然とフラに親しんできた。クムフラ、ジョン・カハイ・トポリンスキーに学び、1993年から数多くのフラコンペティションに出場する。オラパを卒業した後、フラ・マスター、キモ・アラマのもとクムフラとしてのトレーニングを重ね、ウニキを果たした。また、チャントは、マスターチャンターである、カラニ・アカナよりウニキを修めており、力強い中にも癒されるようなトーンを持つ美しいチャントで人々を魅了する。
「正しくフラを伝え、継続することが私の義務です。」という彼は、尊敬する、フラマスター、マイキ・アイウの言葉、「体全体で感じたこと表現することがフラの芸術である」。をモットーにフラを教えている。
本業をもちながら、フラを教えるのは「フラを生活のための収入源にしたくない」と考えるから。
また、先祖に日本人がいることから日本文化にも興味をもち、ハワイ大学で日本語も学んだ。まさに日本とハワイを結ぶ架け橋となる存在だ。




キロハナ・シルヴ(コンペティションではMC/解説を担当)
ハーラウ・オ・マノア(ハワイ・フランス・イタリア・ドイツ・アラスカ・中国)

幼少からクムフラ、故エレン・カスティロのもとでフラの修業を積む。古いフラのスタイルや、メリーモナークでの活躍でも知られるエレン・カスティロは、フラのトレーニングに関しては大変厳しいクムフラだった。キロハナはその厳しいトレーニングを受ける傍ら、ハーラウ内ではインストラクターとしてクラスを任されていた。このようにして何年もの間フラの知識とフラを教える技術を得たキロハナは、ついにクムフラとしての独立をゆるされた。1995年、夫の仕事の都合でフランスに移住したキロハナはパリでハーラウを開く。このハーラウはヨーロッパという遠い土地でしっかりと伝統を伝えている貴重なハーラウとして、ビショップ・ミュージアムがドキュメンタリーフィルムを撮影し、記録として保存している。2005年には40人のハーラウメンバーをフランスから率いてエレンのハーラウと合同でパフォーマンスを果たす。ヨーロッパでなかなか本格的なフラが習えないと、人々から乞われイタリアのローマにもハーラウを開いた。2005年フランスからハワイに戻り、ホノルルのマノアにハーラウを設立。現在はヨーロッパとハワイを行き来している。ハワイの子供たちむけにハワイ神話の語り部を務めたり、文化的な活動にボランティアで貢献するなどハワイ文化を支える一員として意欲的な活動をしている。その強い意志と希有な経験とはうらはらに、とても優しい癒されるような言葉や話し方も、皆に愛される要因の一つだ。フラ・マスター、キモ・アラマからウニキしたが、その後も引き続きキモ・アラマもとで学びつづけている。




マーク・タン
クム・フラ、ミュージシャン、トラディショナル・ハワイアン・カルチャー


マイキ・アイウの系統であるエドワード・カラヒキからウニキを果たしたマーク・タンはクムフラとしてだけではなく、ハワイアンミュージシャン、歌手としても幅広く活躍し、近年ではメリーモナークでサニー・チンなどのハーラウの演奏を何度も務めるなど、ハワイのフラ・コミュニティでは一目置かれた存在だ。
また彼には、長年にわたるケイキからクプナまで幅広い年齢層の人々に対するフラの指導と、数々のすぐれたステージパフォーマンスを提供してきたことに大きな評価が与えられている。マークが彼自身のフラの技術を習得したことに関しては、クラ・アビバ、カハイ・トポリンスキ、ジョージ・ホロカイ、カラニ・アカナなどの名前も恩人として挙げている。今回の彼のワークショップでも、フラの技術と真価を伝えることはもちろん、それらにかかわる芸術的な要素を掘り下げ探求し、ハワイ文化に根差す、「愛」「謙遜」「調和」そして「健康」などを、興味深い題材に織り交ぜて表現するつもりだ。


トワイラ・メンデス
ハーラウ・ナー・プア・アー・レイ


母は、フラ・マスター、レイナニ・シャープ・メンデス。生まれながらにしてクムフラになる運命を背負ってきた。ものごごろがついたばかりで、まだ幼かった少女時代から、きびしい母のもとで薫陶を受ける。
 1984 年のミス・アロハフラをはじめ、たいへん多くの大会で活躍してきた伝統的なハラウの継承者である。ときに厳しく、ときに優しく、信念を持って情熱的に指導する姿勢に、フラを学ぶ多くのひとびとの支持も厚い。そのようなことから毎年ホノルルで開催されている「インターナショナル・ワイキキ・フラ・カンファレンス」ではワークショップの常連の講師として毎回招聘されているほどである。フラ・カンファレンスでは、クム・トワイラのワークショップを受けたひとのリピート率が高いのも特徴である。
また、メリー・モナーク50周年のときには、 ハウ・オリ・フラ・スタジオを率いてホーイケを盛り上げ、おおきな話題になったことも記憶に新しい。



ワークショップ/文化講座担当
ハリー・B・ソリア・ジュニア
テリトリアル・エアウェイブスDJ ラジオ・パーソナリティ

ハワイで祖父の代から3代続くラジオパーソナリティで
司会者。
ハワイのほとんどの音楽家や文化人との交流を持つ。ハワイアン音楽、ハワイ文化史に精通しており、名門「カメハメハ・スクール」でも講義をする識者。






日本人講師(ワークショップ・担当)


大谷幸生
UMAHANA

日本の本の土地に育つ花とハワイに伝わる様々な手法を巧みに駆使し、オリジナルのレイを編むレイメーカー。〈笑顔のタネのプロジェクト〉と題し、花の栽培農家や全国の休耕田や過疎などの問題を抱える自治体との交流も積極的に行う。著書多数。




神保滋

ハワイ文化全般に通暁しており、音楽ライター、ハワイ語会話およびハワイ文化に関係するセミナーなどの講師を務める。インターネットサイトでは「フラダンサーのためのハワイ語講座」などの連載があり、Eブックでは「ウクレレの誕生」などの著作がある。


中島里美

ハワイ大学ヒロ校卒。ハワイ島ケアアウにあるPūnana Leo O Hiloでハワイ語教育・保育に携わる。
現在は、Niuolahiki Distance Learning講師、Nanikahonua Education講師のほかハワイ語通訳、ハワイ楽曲・文献翻訳、執筆活動などに携わる。